2014年11月29日土曜日

日記

(気持ちの整理を付ける為に文章にしておきました。)




今朝、会社の同僚が亡くなっていたそうだ。
昨晩いつものように就寝して、朝、家族が起こしに行ったら既に息をしていなかった。

昨日もごく普通に仕事をしていたそうだし、先週は会議で私も顔を合わせた。
会議は毎週開かれているので、しぜん毎週顔を合わせている。
全く日常だった。
本当に驚いたし、言葉が出なかったです。

昔、祖母が亡くなったときより、多分ショックを受けているとおもう。
亡くなった同僚は自分と8歳しか違わなかったから。

明日が当たり前に来る気がしていて、
明日は何をしようか?何を食べようか。
仕事はさっさと切り上げよう。
帰りに本屋に寄って、ついでにあの店のコーヒーを飲もう。
そんな日常はいとも簡単に崩れるんだと。

当たり前だけれど皆いつかは死ぬ。
別の同僚がTLで「人間なんて無だ」と、
やや投げやりに呟いていた。
そうなのかもしれない。生きる意味とか大上段に振りかぶるつもりも無いけれど、意味はなさそうだ。
「人生なんて一瞬の花火」とも言っていた。
そうなのかもしれない。

でも、そこに何の現象も無かった訳ではないでしょう。
生きている時間は短いけれど、この一瞬があったから生きていてよかったと思う時が誰しもあるんだと思う。
たとえば食べ放題で吝嗇を発揮して欲張って、はち切れそうな腹を抱えてくるしーなんて言ってでも幸せに布団に潜り込んだ瞬間とか。
仲間と昼に出かけて木陰でコンビニ弁当広げるのでも良いし。
よい天気で風も大変気持ちよく、なんとなくごろんと転がって雲をぼんやり見たりする。
子供の頃住んでいた町の、狭い公園から家まで母親に手を引かれて帰った夕暮れ時のおぼろげな記憶とか。地面が今よりずっと近い。
もう居なくなってしまった昔飼っていた鳥が、肩に載った小さな重みでもいい。
耳をつつかれて痛かった。手でそっと包んで持つと暖かい、心臓の鼓動が聞こえた。
そういう小さいけれど、はっとするような瞬間瞬間を重ねるために生きているんじゃないでしょうか。
嫌な事は誰だって沢山あると思うし、辛い事だってほんとうに沢山ある。
でも、そういう事は脳の中で自然と薄まって、幸せだった一瞬だけが少しずつ記憶として残って行くんじゃあないかな。
最終的に行き着く場所が無だったとしても、その一瞬が、一生分の価値になるような時があるんだと思う。

正直に死ぬのは死ぬほど嫌だし死ぬほど怖いです。
でも終わりがくる事は最初から決まっているから、今は嫌な事を遠ざけて、自分が楽しいと思える事を重ねて行けばいい。
最後は無なんだから、生きて世界を感じ取れるこの一瞬を少しでも自分が心地よいと思える事に使って行きたいと思いました。

2013年5月6日月曜日

コミティア…


実は出ていましたシリーズで、5日のコミティアに参加しました。

前回のブログの更新がはるか昔なので驚きを禁じ得ない…
ご購入いただいた方に顔向けできないです。
精進します。

2012年2月6日月曜日

感謝


昨日のコミティア来て頂いた方有り難うございました。

今回で2回目の参加で、少し回りが見えるようになりました。
前回もでしたが、絵柄があまりまんがまんがしていないので壮大に浮きました...

でもデザフェスは場所取るので必死になるので、
無駄なカロリー消費してしまいます。
今後はコミティア中心で出たいなという話をしました。

で、今回コミティアだし、うさぎとかばかりでもしょうがないと思い
女子学生を描いて(上)持っていったのですが、
全然不人気でした...
こういう毒にも薬にもならないようなのは駄目っぽいですね。
(クォリティも低かったですし)
勉強になります。

次は5月のコミティアですね。
開催100回目だそうで。
すごい。
もっとまんがまんがしたのも練習して持っていきたいです。
うさぎも増やしたい。

2012年2月5日日曜日

COMITEIA99


本日のCOMITEIA99に参加します。
ち12a【Signetour/シニェツール】
ポストカードやステッカー、
飛び出すポストカードを作る本などを持っていく予定です。